「自律」するのに、あたまの良さも年齢も無関係という話し

先日運動会があり、子供たちの通う小学校に行ってきました。そして種目のひとつに縄跳びがありました。4年生全員が運動場いっぱいに広がって縄跳びを使って演舞します。まず運動場の中心に集まり、笛がなると即座に散らばって縄跳びを始めます。

子供たちは前後左右見て、必要な距離を取り、縄が当たらないようポジションを取ります。ほんの数秒で並び、次の笛が鳴ると一斉に縄跳びを始めます。

私はとても感心して見ていました。先生から何も指示されなくても、自分たちで最適な位置を選んで並びます。運動会までに何度か練習はしたでしょうが、一斉に散らばる際、前後左右がいつも同じ人とは限りません。背の高い子、低い子、縄跳びの長い子、短い子、各自で判断して、自分の最適なポジションを見極め、相手の動きを見ながら瞬時に調整します。

私はこのとき、アジャイルの「自律」という言葉を思い出しました。

私はこの運動会まで、「自律」はある程度の年齢になるまでむずかしいと思っていました。子供はまず経済的、精神的に「自立」してから、自らを律する「自律」に進めると思っていたのです。

先生は笛を吹くだけです。全員が一瞬の内に最適なフォーメーションを組んで、縄跳びを始めたのです。飛びながらも微修正を繰り返し、全員が「自律」してフォーメーションを維持します。

私たちの社会でも関係者が増えれば増えるほど、中央集権的なコントロールが困難になります。そこで、コントロール機能を現場に委ね、現場でタイムリーに判断していくことで組織のスピードを維持していきます。

子供たちが何の苦もなく簡単に自律し、そして生き生きと縄跳びをする姿に、私はいたく感激しました。

「自律」に年齢は関係ありません。「自律」に特別なあたまの良さも関係ありません。

「自律」するには、自ら判断し、行動していく気持ちが必要なのです。

「自律」に必要なのは、率先して自分のあたまを使う気持ちだけです。

子供の運動会で、子供たちの成長を客観的に見られただけでなく、私自身が成長させてもらえる1日になりました。

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