心理的安全性が高いほどチームは活性化する

「鬼滅の刃」をご存じでしょうか。吾峠呼世晴(ごとうげこよはる)氏の漫画で今年の春まで少年ジャンプにも連載されていました。舞台は大正時代でテーマは鬼と鬼をやっつける鬼殺隊の話です。描写がリアルで刺激が強すぎると感じるシーンもありますが、コンセプトとストーリーがしっかりしているので思わず大人も引き込まれます。

鬼滅の刃の中で「累(るい)」という人物(鬼)が登場します。生い立ち等はネタバレしてしまうので書きませんが、非常に強い鬼です。

累はある理由から家族の絆に飢えており、まやかしの家族を自分の血を飲ませて作っていきます。実際の血縁関係はなく、家族での役割は累が決めます。そしてメンバーは与えられた役割通りにふるまわなくてはなりません。失敗すると累にひどい目にあわせられてしまうのです。

私はこのシーンを見て、心理的安全性ゼロとはまさにこのことだと感じました。同じ家族(チーム)でありながら、本音で話せないのです。話す内容はもちろん、話し方もふるまいもリアクションもすべて与えられたシナリオ通りにこなさなくてはなりません。そこには自我はありません。自分をもってはいけないのです。

心理的安全性がなく、恐怖が増えると、次のようなことが起こります。

  • 視点がモノ化する。多様性が失われる
  • 思考力が低下する。ロボット化する
  • 創造性が失われる。無気力化する

様々なバックグラウンドと経験を持つ人たちが集まれば多様な価値感があって当たり前です。しかし、心理的安全性が欠如した環境ではそれを表に出せなくなります。表に出すと攻撃されたり罰を受けたりします。恐怖の中で人間は生きていけないものですが、それでも持続可能であるために、人間は自分の感情を捨てて無気力化し、思考も捨ててロボット化するしかありません。

アジャイルであろうがなかろうが、恐怖の糸では人は生きていけません。人間が人間らしく生きるには、心理的安全性で心をいっぱいにしてあげなくてはならないのです。