先日子供たちに連れられて「鬼滅の刃 無限列車編」を観にいきました。去年の「天気の子」以来の映画館でしたが、しっかり衛生管理もされており安心して楽しむことができました。そして、作品は素晴らしかったです。子供の付き添いで観にいったのですが、いつの間にか前のめりで全集中でした。柱のひとりである煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)がかっこよく、最後は感動して涙があふれて止まりませんでした(子供たち以上に泣いていたような・・)。
これから映画をご覧になる方にはネタバレになってしまうのですが、見所のひとつに鬼殺隊最高位の柱である煉獄さんと鬼の最高位十二鬼月(じゅうにきづき)のひとりである猗窩座(あかざ)との闘いのシーンがあります。
その時の猗窩座の言葉に次があります。
- お前は至高の領域に近い。杏寿郎なぜお前が至高の領域に踏み入れないのか教えてやろう
- 人間だからだ
- 老いるからだ
- 死ぬからだ
- 鬼になろう杏寿郎。そうすれば百年でも二百年でも鍛錬し続けられる。強くなれる
私はこのシーンを見るまで、鬼はただ人間を喰らい、人間の血を吸うだけの存在だと思っていました。猗窩座が煉獄杏寿郎を認め、もっと強くなるためにパートナーとしてお互いに高めあおうと熱く語るのを聞いて切磋琢磨する開発メンバーを思い出しました。やはり十二鬼月はただ者(鬼)ではありません。
鬼でありながら、もっと鍛錬を積んで自分も相手も高めたい。鬼になったのは間違いですが、鬼にしておくのはもったいない向上心です。猗窩座、恐るべし。
そしてもうひとつ、驚いたことがあります。それは不死身の鬼でありながらそのモチベーションの維持力です。
人生は大きなタイムボックスです。普通の人にとって、人生は80年というタイムボックスです。時間に限りがあるから、人生に制約があるから、生きることの意味があります。もし、100年も200年も、500年も1,000年も生きられるとしたら、今を生きる意欲を持ち続けられるでしょうか。
10月もあと1週間です。そして2020年もあと2か月少々です。期限があるから、やってしまおうとする訳です。無期限の中で、100年でも1,000年でも無限に時間がある中で、今日の一日を必死で生きる意味を自分は見つけることができるだろうか。日常的にベターバージョンを追求するモチベーションを維持し続けられるだろうか。
アニメの架空の存在と言ってしまえばそこまでですが、煉獄杏寿郎と猗窩座の戦いのシーンで、私はいろんなことを考えさせられました。
煉獄杏寿郎の生き様を見て、心が洗われる映画でした。そして、私のような凡人は、短いタイムボックスでテーマやゴールを決めてあげないと日々ベターバージョンを目指すスイッチがはいらないことを学び直せた映画でした。
映像も素晴らしかったので、ものづくりの観点からも見応えのある作品だと思います。一見の価値ありの作品でした。