志だけでは人を助けられないという現実

ここ最近鬼滅の刃の題材が続いていますが、もう一つお付き合いください。

映画「無限列車編」の終盤で、ダメージを受けて動けない炭治郎(たんじろう)が煉獄(れんごく)さんを助けようとするシーンがあります。炭治郎は後にすばらしい剣士になるのですが、この時点ではまだまだ力不足です。優しく正義感の強い炭治郎にとって、自分の無力さを突き付けられたシーンでした。

私たちの生活の中でも、同じような状況は枚挙にいとまがありません。困っている人がいても力が足りないため助けられないのです。プランニングでコミットしたバックログが完成しない状況で、自分も手いっぱいでチームを助けられないとか、クライアントを窮地から救う戦略や提案ができないとか、常に圧倒的な価値を周囲に示すことはなかなか困難なことです。

世の中には、「なんでもやりますので言ってください。がんばります!」という人がいます。志が高いことは素晴らしいのですが、実際に力がなくては人を助けることはできません。残念ながら気持ちだけでは人は助からないのです。

では、力不足を感じたときにどうすればいいのか。

これは、自分がもっているもの、もっていないものも含めて、できることをなんでもやってみるしかありません。自分が知らないことは詳しい人に聞いたり、調べたりするしかありません。目の前のチームを助けられるのは自分しかいないのですから。

この過程で、知らないことを知り、やってみることで理解が深まり、チームの反応からインサイトが得られます。自分が現時点でできても、できなくても、その場に居合わせたということはそこで価値を示す機会を与えられたのです。その時の自分を信じて挑んでいくことです。

気持ちだけでは人を助けられません。人を助けるには力が必要です。開発メンバーであれば技術力が必要です。それでも十分でないとき、足りない部分をなんとかして補いながら必死でやりきるしかありません。それが自己の能力を開発し、昨日の自分を超えていくことに繋がります。人助けがしたい、人の役に立ちたいと思うことはとても素敵なことです。でも発言する前に、それだけの実力が備わっているのか点検したいものです。優れた志だけでは、残念ながら人は助かりません。