人が恐れるのは変化することではなく批判されること

コロナ禍で私たちの生活は一変しました。今までの常識が非常識になり、今までの非常識が常識になりました。そのためニューノーマルと言われ新しい常識が生まれました。

コロナ前まではコンサルタントはお客様の現場で仕事をするのが常でした。お客様からも少しでも長く現場で支援してほしいと言われました。コロナ禍では大半がリモート支援になりました。ハードウェアを扱うお客様の場合でも、リモートで対応できる領域はリモートでご支援しています。

今回のコロナは世界規模で起こりました。そのため、この変化は全世界に広がりました。誰もがこの変化を受け入れるしかない状況が作られたため、変化はものすごい速度で伝播していきました。

これが通常の状況で、私一人が金曜日は17時に失礼しますと言ってもなかなか受け入れてもらえません。一つのチームだけが実施しても、組織のほかのチームが働いていると導入が難しいものです。組織をあげて「ノー残業デー」を作っても、外部のお客様にはなかなか理解を得られません。今回のコロナは世界レベルでしたので、地球の全員が一斉に変化を受け入れ適応したと言えます。

今回のケースで私が感じたことは、人は変化を恐れているのではなく、変化することによる周りの目や批判を恐れているということです。もちろん不要な変化はだれしも嫌いますが、必要な変化なら人間は受け入れるのです。変化できないのは変化そのものを恐れているのではなく、変化することで批判の的になることを恐れているからなのです。誰からも批判されないのであれば変化することはもっと楽になります。

特に日本人は変化を躊躇する傾向があります。一般的に、日本人は組織や体制に対する忠誠心が高いので、自分の考えだけではみ出すことを非常に気にします。沈没船に日本人が乗っていたら、「早く飛び込まないと死にますよ」よりも「みんな飛び込んでますよ」といった方が伝わるという笑い話もあります。

コロナ禍で、数か月のうちに全人類の生活が一変しました。人は、必要な変化であれば超高速で受け入れ適応できることが実証されました。